昭和46年09月14日 朝の御理解
御理解 第58節
「人が盗人じゃというても、乞食じゃというても、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃというても、貰いに行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ。」
私の信心をまた私の信心の進め方を簡単に申しますなら、こう言う事が言えるのじゃないかと思うのです。「落ちぶれて袖に涙のかかる時、人の心の奥ぞ知らるる」という歌がありますが、私の場合はここんところが人の心ではなくて、「神の心の奥ぞ知られる」ということに、いつもなっておると思うのです。「落ちぶれて袖に涙のかかるとき、神の心の奥ぞ知られる、」落ちぶれてという。
まあ様々な難儀に直面する度に、人の心の奥が分るのじゃなくて、その度にいよいよ神様の心の深さ、思いの深さ、神様が私どもを思うて下さる、そのお心の深さをいよいよ分らせて頂くというのです。これは私がここ二十何年間の信心を一貫したいうなら私の信心姿勢だというても良いです、その都度にあれがああしたから、これがこうしたからではない、それは泥棒じゃといわれ乞食ぢゃといわれまあ同じ様な事を言われて参りましたけれどもです、その都度にやはり血の涙の出るような思いをせんでもなかった。
けれどもそういう都度にです、私はあの神様の心がいよいよ分った、深く広くその都度にわからせて頂く、それが一つの感激ともなり、神様がかくまでもして、このような事を聞かせたりなさってこういう問題を通うして、この様なことを分らせて下さる為であったというような行き方なんです、ですから一般では、本当にお金が沢山ある時には用のない人でも用のあるようにしてやってきた、ところがさあいよいよ、お金が無くなったらさあ寄りつかねばならん人ですら寄りつかんようになってきた。
本当に人間の心ちゃわかるものじゃない、いや人間の心の奥というのは一切がそんなもんだと、嘆き悲しむところでしょうけれども、信心のあるおかげで、信心を頂いておつたおかげでそうは思はんですんだ、そういう都度に神様の心の奥がいよいよわかって信心の奥がえ奥がえと進むことが出来た。それはどう言う事であろか、どういう訳であろうか。私はしっかり信心の帯びを締めよとおっしやる、シッカリ信心の帯びが出来ておったからだと思うんです。
ですからどうしてとか、あれがという、そのあれがとか、どうしてとかいう時には、自分の信心がいうならば、ゆるんでおる時であると、悟らなければいけませんですね。心に迷いが起こったり、信心に神様に打ち向かう心が、無くなった時にはもうすでに、信心の帯びは、緩んでしまっておる時です。そこでシッカリ信心の帯びを、締め直し締め直し、いよいよそのことを通して信心のいわゆる、奥がをたずねていかねばならないと、いうわけであります。
もう一ついえることは、私の信心を簡単にいうなら、これはとりわけ最近の私の中に強くあらわれてくること。いうて聞かせてしてみせて、褒めてやらねばだれもせんぞえとね、いうて聞かせてしてみせて褒めてやらねば誰もせぬぞえ、私はね最近の金光教はそのようになっているようですね、いわゆる常識的ですね、そこんところに、力をいれておる。私は金光さまの信心はね、常識的であったらですよ、もう信心のないものと五十歩百歩ですよね、だから今の狂歌でしょかね。
今の歌の場合は、これは普通の人がいうことなんですよ。言うて聞かせてして見せて、褒めてやらねば誰もせぬぞえ、いうならば人使いのコツとでも申しましょうか確かにね、そういうような、生き方になれば人はついてきます、でもこれはどこまでも常識的な考え方だと思う。だからここんところ私の場合はね、いうても聞かせん。してもみせん、褒めてもやらん、そこからです本当の神様のお働きを受けよう、いや受けられるのだと確信が段々持たれて来たわけです。
それを最近、御理解頂きますように治めると言う事は『サンズイ偏にム口と書いてある』行き方ですね『サンズイ偏にム口と』書いて治めると読ませる。ムは片仮名のムですよ、口は漢字の口という字ですね、ム口と書いてある、これは私の最近の信心にも、大変強く表れてきておるところです。言うて聞かせる事も知ってる、此処でいうて聞かせたらわかるかもしれん、いうて聞かせる場合は自分から行うじて自分も例えば子供であるなら、お父さん、あんたは自分を見なさいといわれることのないように。
自分自身もお父さん自身もしっかりして、そして子供達の間違ったところは、これはおかしいぢゃないかというて聞かせる。だからいうて聞かせることも、して見せることもしっておる、同時にまた褒めてやることも知っておる、これは根っからも私は商売人だすからね、そういう人をつかうと言った様な、要領と言う事に於いては、誰よりも私は優れておると思うのです、なら人使いが上手ということです。
ところが人使いが上手だからその上手に操られて動く人間なんて、私はほんなものじゃないと思う。ですから私は最近は、もういうても聞かせん。しても見せん、褒めてもやらん。それでいて本当の意味に於いての治まるおかげでなかならければ、本当なことではない、これは私と私の子供のことを皆さんが見てくだされば一番わかる。本当に場合には目に余る様なこともある、ここでいうて聞かせたらなあと思う時もある。
ですから問題はいうて聞かせるとか、してみせるとかでなくて、問題はその都度都度に私が助かると言う事に焦点を置いておる。自分自身が助かる、それを言わんで済むという事、例えばここに一ついわにやおられんと、言う様な事でもです、そのいわにやおられん事によつて、自分がより豊かな大きな心を頂く事に精進する、いわんですむ又はその姿こそが、私親の姿であると思わしてもらう、そこに自ずと反省が出来る。
褒めてやらんでも、してみせんでもただこうすることが、信心だと言う事だけに、焦点がおいてある、こうすることが信心だと言う事は、私自身が助からねばならないと言う事である。結果においてならば、どういう答えが出ておるかと、七人の子供がおりますがその、七人の子供がとても親がいうて聞かせてでも出来ることじゃない、親が指図してからでも、出来る事じゃ無い。これは私は、私の場合にはもう本当に神様が見事にですね、その子供の一人一人の性格とか性根とか個性とかいうようなものをです。
十分承知の上にお使い回し下さるなあと言う事を、もう本当に感謝せずにおられませんと、同時に成程いうて聞かせたりしてみせり褒めてやったりして出来る事じゃないて、ね、お父さんは右にしたが良いと思いよるけど神様は左に使おうと思ってござるかわからんのですから、家の子供達の事を一つ思ってみれば一番わかるです。長女は縁についておりますから、次は若先生、若先生が私の手足になってぢゃないけれども、信心の上では何というても私の手足になって私が動きませんから動いてくれます。
それはもうお世辞ではございましょうけれども、昨日宮の陣の阿部先生が暫くの時間こちらに見えまして、客殿で先生方とお話ししている時に大坪先生、お宅の若先生は出来ちゃりますというのです。何が出来とりますかというたら、いや先生同志で心ある者は、言うたり、思うたりしよりますよと、やはりおかげ頂きなさるところの若先生は違うちゅて、様々のことを言われました。そしてほんなこつなあと思いました。
聞きながら、そういうとてもあげんせにゃいかんばい、こげんせにぁいかんばい、どこに行ったらこげな態度ぢゃいかんよ、そげなここと言うて聞かせねんでもね、もうちやんと神様がそうさせて下さっておるということ、ここでは私の代行を、私が頼んでするよりも、いうならば見事にここだけはできておる。他の事は目に余ることも沢山あります、けれども一人の子供が問題はそこんところをしっかりやって行ってくれれば良いでしょうが、二番目の愛子が学院に参りました、教職も頂いてまいりました。
現在愛子が受け持っておる分担せんならんよと言わんでもちゃんと見事にやってのけてくれます。皆様御承知の通りです、やっておることは三番目の光昭ですもうこの人何か人間の、お父さんさんどんがつこうてできることじゃないです。ところが自分が率先して、まる少にあたっておることなんか、それはもう本当に神ながらのことなんです、私は昨日朝食前に庭をいっぺんみたいと言うて講師の先生が仰いますから御案内致しましょうというて、客殿からおりてずーっと庭を一巡りして参りました。
そしてこの、広場まで参りました時に前の晩から少の方達がここでキャンプ形式をとって野外の活動してるのを見せて頂いて、初めてあんなの見ました、そばでそこで御飯を炊いたりキャンプ生活の稽古をやってるわけなんです。そこにはこぼれておる米をある丸少の子供が一生懸命一粒づつ拾っておりました、ある者はそこをある者はここをと、それこそ光昭の手足のように動いているのです、皆がしておることも、実際なるほど子供達がリーダ、リーダというて皆が慕うてくるが。
なるほどこういうとても他の子供では出きんと思いました。このごろから甘木の教会から光昭宛てに葉書が来てるのですよ。今度の丸少の何の時には、御講話をお願いしますと書いてあるもうまるきり光昭先生になつてしもうとる、先生方沢山おられますのにですよねだから他のところではやはりやってるわけです。三男の幹三郎をみるともういよいよ神様がつこうてござると思います。
あの十二がつの死ぬか生きるかの病気以来もうこれこそ丸少があった時は別ですけど、家におる限りもうどんなに前の晩寝とらんでもこれを私は、起こした事はありません。もう遅くとも3時20分には起きます、そして三時半には親と一緒に控えに出て参ります、そしてもうなんというですかね、その私が座っとる前でもう謙虚なもう本当に横ずりいっちょ致しません。三十分間じっと神修している感じです、まだ十七かいうなら満の、本当にこんな事が出来るじゃろうかと、私は不思議でたまらん位です。
幹三郎さんああせにゃいかんょ、こうせにゃいかにょ、道の教師を本当に志すならこうせにゃいかんよと、言う事もなんにもいらん、親の思いとか願いとか以上のことが実際に出来ておると言う事、とてもとてもいうて聞かせたり、してみせたりして出来る事じゃなかて。あんたようできるばいて、おだてて誉めてやることも何もいらん、まあ一番下の栄四朗は高校ですから海のものとも山のものとも分りませんけれども、これとても同じこと、神様がまあお使いなさるだろうと思います。
私はそこから思うてみるのですけれども、どうしてそう言う事が出来るかと、言う事はです、いうて聞かせてしてみせて褒めてやらねば誰もせぬぞえと言う様な常識的な行き方から、例えば人が助かる事を願ったり人を自由自在に操つろうとしたつて、駄目だと、神様のおかげを頂かねば、そのためには私自身が助かることのために精進する以外にはないでしよう。いわゆる信心の帯をシッカリする以外にないでしょう、そこで私がそういうことを、どうして出来るかというとです。
その前の御理解五十七節にあります「金の杖をつけば曲がる竹や木は折れる、神を杖につけば楽じゃ」と、もう黙って治めることが一番だと言う事、しかも目に余る様なことがあったり困ったことがあったり、難儀なことがある。ある場合には泥棒だと、乞食だといわれなくても、それと同じことをいわれて思われてもまずそこんところをです、落ちぶれて袖に涙のかかる時神の心の奥ぞ分る、色んな問題を通してです、神の心がわからせて頂く為のもう反省がなされる、そういう行き方からです。
神を杖につくという人を頼らない、金には頼らない木や竹は折れるそれを私が承知しておる、だからただ神を杖についておるから楽である、私はこの極めた言葉というものはね、私どもが極めて行かなければその味は分かりません、神を杖につけば楽ぢゃというのは教祖様の御信心の極めに極められたお言葉なのです、だから信心しよっても楽ぢゃないならばね、神を杖についとらんからです。
神を信じて杖についたらです、そこに目に余る様な事があっても起こっておっても心は楽です、神を杖についておるから楽なんです。だから信心の帯びをすると言う事はしっかり神様を杖についておる、行き方だともいえる訳です。どうぞ私が一番始に申しました、私の信心を一言にしていうなら最近の私の信心の在り方を一言でいうなら二つの歌を申しました「落ちぶれて袖に涙のかかる時、神の心の奥ぞ知られる」でなかなければならん日々のおかげを受けて行くというてもこれは人間関係の事だけではありません。
言うて聞かせてしてみせて褒めてやらねば誰もせぬぞえと、これは世間一般常識的はそうであります、けどもいうて聞かせたりしてみせたり褒めてやったりで、出来るのは、本当の神様のおかげにはなりません、光昭を例えば私がおだててあんた幹三郎さえこげんじゃから朝はよう起きて幹三郎の真似をしなさいと例えばいうて聞かせたところで光昭には出来ないのです。けれども幹三郎ができないところを、光昭が見事にやっていっております、これは神様のおかげを頂かねばできることではないでしょうが。
それにはやはり無口、無口で治める、それが信心の帯びをしっかりできておらねば、ちゃんというてしまうことになってしまうです。いうてならぬことをいうてしまう結果になります、しっかり信心の帯びを締めよとは、五十七節から頂きますと本当の意味に於いて神を杖についておれば楽ゃという程しの神様を頂くと言う事なのです。そこんところを二つの歌からいわゆる私の信心を聞いて貰ったわけですね。
どうぞ。